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2007年1月31日
▼ 三つの家紋

(内町 表町下丁 石黒家
内町 表町下丁 石黒家の正式な家紋は「抱き柊」です。
柊はモクセイ科の常緑樹で葉の縁に鋭いとげがあり、
日本書紀には柊で矛を作った記述があり、平安時代には節分の豆まきに
戸ごとに柊を挿したという故事も有るそうです。
破魔(はま)の功徳があり、この事が家紋に用いられるようになった
由縁ではないかと云われているようです。
この他石黒家では陣羽織や陣笠に「丸に石」の紋を付け、
手桶などの日用品などには「丸に柊」の紋を付けています。
家紋などさっぱり意識しない人が多い昨今、
往時に一軒で3つの紋を使い分けしているあたりは、
意気で自己主張があって羨ましい限りです。

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先日戴いたコメントへの返信
観光人様
いつもありがとうございます。
今年は本当に雪が無く困っています。
南の地域で生活しているようで、
雪国の人間のバランスが狂ってしまいます。
異常気象、温暖化、
皆われわれ人間が犯してしまっている事で、
個々が気をつけなければいけないと思っております。
確かに角館では古いものを大切にしております。
この古いものを大切には
古くからの地球を大切にも繋がり、
角館だからこそ環境保全、温暖化阻止、人間の正常化などを
発信できるのではないのかな!
などと大それた事を独り言のように呟いております。
投稿者 角館町観光協会 : 07:41 | コメント (0)
2007年1月30日
▼ 竹田人形

(内町 表町下丁 石黒家)
内町 表町下丁 石黒家 お雛様の下の人形で
めでたい時に飾る「高砂(たかさご)」、
源平の戦いに敗れ落ちていく「常盤御前親子(ときわごぜん おやこ)
の竹田人形です。
竹田人形とは寛分年間(1660年頃)に竹田近江掾が大阪の道頓堀に
人形芝居の櫓を上げたのが始まりといわれています。
今にも動き出すかのような錯覚にとらわれる、不思議な魅力が特徴で
江戸時代の遊び心が伝わってくる「美感遊創人形」といわれております。
竹田人形の頭は非常に優れていて、浄瑠璃人形の頭師により
制作されていたと考えられており、衣裳は衣裳着付師、
手足は別の職人による分業で作られていたそうです。
この奥深い人形と石黒家の佇まいが300年以上の歴史を感じさせ、
今にも竹田人形が語りかけてきそうです。

投稿者 角館町観光協会 : 10:10 | コメント (0)
2007年1月29日
▼ 隋人(ずいじん)様

古今雛(こきんびな)
(内町 表町下丁 石黒家)
内町 表町下丁 石黒家の人形で隋人(ずいじん)様です。
主役の内裏雛を警護する武官で右大臣(うだいじん:若者)
左大臣(さだいじん:老人)ということで、それぞれ女官を従えており、
内裏雛から見て右が右大臣、左が左大臣
ということは、こちらから見て左が右大臣、右が左大臣だそうです。
右大臣の横に駕籠(かご)、左大臣の横には箪笥(たんす)が飾られ、
その下には遊び道具の貝あわせをはじめ様々な遊び道具が置かれています。
ちなみに雛菓子の菱餅(ひしもち)の三色の意味
桃色は春の桃の花を表し、白は冬の雪を表し
緑は初夏の緑を表しているそうです。

投稿者 角館町観光協会 : 20:39 | コメント (1)
2007年1月28日
▼ 古今雛(こきんびな)

(内町 表町下丁 石黒家)
内町 表町下丁 石黒家に代々伝わる人形で、
雛人形の上段中央お内裏様とお雛様が古今雛だそうです。
古今雛とは
「江戸時代安永(あんえい1772年〜1780年)「京風の次郎左衛門雛」に代わってに
江戸生まれの「古今雛(こきんびな)」が大流行しました。
これは町雛でありながら、身分を越えて珍重され、
京都にも波及し「古今様式の京雛」さえ生み出しました。
古今雛は目にガラスや水晶をはめ込んだりして写実的表現で顔を作り、
衣装にも女雛の袖口に金糸や色糸の刺繍をするなど工夫が凝らされており、
江戸っ子好みの豪華な雛でした。
雛人形として完成の域に達した古今雛の形式は、
明治以降現代の雛人形にまで引き継がれています。
天明(天明1781年〜1788年)には五人囃子(ごにんばやし)
が登場し江戸の庶民にもてはやされ、
文化・文政(ぶんか、ぶんせい1804年〜1830年)の頃には江戸の雛祭りは円熟期を迎え、
今日おなじみの官女や随身などの人形もでそろいました。」
とのことです。
お雛様にも歴史がありますね!

投稿者 角館町観光協会 : 23:39 | コメント (0)
2007年1月27日
▼ 静御前(しずかごぜん)

(外町 下新町 安藤家)
外町 下新町 安藤家 右上の押絵雛「静御前(しずかごぜん)」です。
百聞は一見にしかず!
安藤家に来てこの素晴らしい押絵雛、襖絵の
「見ることの体験」を試みてください。
感動すること間違いなしです。
静御前の簡単な説明です。
静御前の母は磯禅尼(いそのぜんに)という白拍子(しらびょうし)だったといわれ、
静御前も母と同様に白拍子になり、京の都で舞を舞っていたそうです。
生来から際立った美貌の静は、源氏の若大将源義経の目にとまり、その愛妾となります。
義経の吉野落ちに随行して捕らえられ、
鎌倉の鶴岡八幡宮で義経への慕情を歌舞した事柄は有名な話です。
