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2007年9月30日
▼ 蔵の扉が大きい訳

(外町 下新町 安藤家)

(西宮家)
安藤家の今朝の景色、
相変わらず素敵で見る者を元気にさせる景色です。
煉瓦蔵の赤茶色、母屋の黒、樹木の色、松の緑、黄色身が混じったしだれ桜、
この色合いがなんとも良い加減で、
朝日に当たる姿は言葉では言いようの無い素晴らしさです。
さて角館の蔵は他の地域よりも扉が大きいと思うのは私だけでしょうか。
安藤家座敷蔵の大きい扉を筆頭に入り口の扉はもちろんですが、
外に見える窓の部分は間違いなく大きい様な気がします。
更にその扉の取っ手の細工もそれぞれ違う細工をしていたりして、
いかにも職人の手をかけていると言った感じです。
扉を大きく造ることは技術(匠の技)が必要であり、
そのためには日数と沢山の人が必要となり、
そのためには其れなりのお金が必要なことは周知の事実です。
と言うことはその地域が豊かでなければ、
蔵がないのは当然ですが、その蔵の扉も大きくないのではと思うのです。
西宮家の米蔵の横の景色はその全てを物語っており、
この美しさが全ての匠の技、人の力、西宮家の人々の気持ち、
地域の豊かさ、まわりの環境のお陰で出来上がったことを表しております。
投稿者 角館町観光協会 : 04:01 | コメント (0)
2007年9月29日
▼ 禄高と門

(内町 東勝楽丁 滑川家)

(腕木門)
滑川家の冠木門です。
冠木門の黒い柱と手前のドイツトーヒの樹が
面白い構図を作り出しています。
武士の世界は階級により家の前の門の形が許され、
禄高の高いの武士は薬医門、次が腕木門、冠木門、門柱だけ、
門が許されない武士、と別れていたようです。
その中の冠木門とは、二本の門柱の上の方に
冠木とよぶ横木を貫いてわたした形式の簡単な門で、
屋根がないため坊主門ともいわれるそうです。
薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める
「矢食い(やぐい)」から来たのではと言われており、
「腕木門(うでぎもん)」は、腕のように板塀(いたべい)が
張り出しているところからそう呼ばれ、
腕木門からは生け垣が繋がっていきます。
武家屋敷が在った証は前にも書いたように
丁内名(町が商人町 丁が武家屋敷)がありますが、
このように門があるのも武家屋敷の証です。
表町上丁、下町 田町上丁、下丁この丁内には
間違いなくこの全ての門が今でも存在します。
門、更にはそこに付いている懸魚を見ながら
散策するのも角館の楽しみ方の一つです。

(丸い門註)

(四角い門柱)
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先日戴いたコメントへの返信
おサツ様
いつもコメントありがとう御座います。
色々角館のことをご考察戴き感謝いたします。
面白い情報などありましたら、
教えてください。
投稿者 角館町観光協会 : 07:34 | コメント (1)
2007年9月28日
▼ 抱返り渓谷 今新たなる姿で

(神の岩橋と巫女石)

(散策路の手すり)

(茣蓙の石)
西の耶馬渓(やまけい)、東の抱返り渓谷(だきがえりけいこく)
と言われる位に日本で代表される美しい渓谷である抱返り渓谷が、
いよいよ二年の沈黙を破り、今新たに姿を現します。
角館駅から車で15分、、田沢湖に行く途中
わらび座のすぐ近くに位置し
しかも車を降りて歩いてすぐの絶景の渓谷です。
2年前の大雪の影響で大規模な崩落が起きて以来
進入禁止になりましたが、
国、秋田県、仙北市の絶大なる協力の下、
2年間の復旧作業が行われ、
以前より安全で安心な散策路が完成し、
自然美溢れる景勝地として再出発することとなりました。
エメラルドグリーンの神秘的な水の色、
原生林に囲まれ、自然の厳しさを体験できる渓谷です。
抱返り渓谷をお守りする「抱返り神社(だきがえりじんじゃ)」
秋田で最も古いつり橋「神の岩橋(かみのいわはし)」、神が住むという「巫女石(みこいし)」
ござ数枚敷く事の出来る巨岩「茣蓙の石(ござのいし)」
切り立った岩壁が宗教的にも感じる「誓願寺(せいがんじ)」
何度でも振り返ってみたくなるほど美しい「回顧の滝(みかえりのたき)」
そこに新しくビューポイントになった42.5メートルのつり橋
「誓願橋(せいがんはし)」
などの見所が多い渓谷でもあります。
往復約一時間の散策は決して皆様を飽きさせず、
一生の思い出になることに間違いありません。
9月29日開通で、10月10日からは紅葉祭
角館からの無料送迎バス、ヘリコプターの遊覧
各種多彩な催し物もありますので
トップページの抱返り渓谷情報をご覧になってからお越し下さい。

(誓願橋)

(わらび座提供 小野小町の渡り初め)

(回顧の滝)

(回顧の滝)

(渓谷美)

(散策路の手すり)

(神代中学校 全校生徒による清掃ボランティア その後のなべっこ)
投稿者 角館町観光協会 : 09:22 | コメント (0)
2007年9月27日
▼ 外町 旧家の佇まい

(外町 下新町と田町下丁 たまちしもちょう 太田家)

(田町上丁 たまちかみちょう)
外町下新町から田町下丁まで望む太田家の旧い佇まいです。
手前の母屋には表面上は見えませんが中に蔵があります。
奥に望む大きな建物の中には左右に蔵が二つ入っており、
真ん中は養蚕場として使われておりました。
その隣には文化庁の指定(明治45年建設)を受けた製糸工場があります。
この建物は梁部分をその当時まだ珍しい
洋式の建築方法「クィーンポスト技法」で造り、
更に屋根の上に更に明かりを取る為に「高窓」を付け、
その下に「越し屋根」を持つ珍しい木造平屋建てす。
「クィーンポスト技法」とは「対束小屋組(たいつかこやぐみ)」と呼ばれ
二本の束(つか)を中央付近で左右対称にしてしずかいの様にいれ
三角形を作る事により細い材料でも頑丈に作ることのできる技法で、
昔の日本には無い方法でした。
養蚕業(ようさんぎょう)は蚕(かいこ)を飼って、
その繭(まゆ)からら生糸の絹を作る産業のことで、
古く中国から伝わったとされ、日本では弥生時代に
中国あるいは朝鮮から伝わった云われております。
養蚕業は蚕を飼うため桑の木(くわのき)を栽培して
蚕のえさにして繭を作ります。
繭を絹にするために製糸工場で繭から生糸へと加工され、
生糸をさらに加工して絹織物などの繊維にする産業です。
太田家では、蔵の方で蚕から繭を育てる養蚕をして、
その繭を隣の製糸工場で生糸を作り、
それを売ることも商の一つだったようです。
その蔵までの田町上丁の通りも写真ように大分整備され綺麗になってきましたが、
もっと昔のように復元して魅力ある場所にしたいものです。
投稿者 角館町観光協会 : 07:13 | コメント (1)
2007年9月26日
▼ 角館の舞茸と新米

(舞茸)

(稲穂 舞茸酒蒸し)
いよいよ茸の王様「天然舞茸」が採れだしました。
「天然舞茸」はブナの木の根っこ生えると言い、
大きいものでは一株で4キロから5キロの大物もあります。
何故この名前が付いたかと言うと、
茸を見つけた時に余りの嬉しさに「踊りを舞う」、
事から「舞茸(まいだけ)」としたそうです。
舞茸は土瓶蒸しにして良し、塩焼きにして良し、天麩羅にして良し、
勿論秋田名物「きりたんぽ鍋」には欠かせない茸です。
今では年中養殖物の舞茸が出ていますが、
香り、歯ごたえ、出汁の良さは天然物に勝るものはありません。
10月中旬霜が降る頃まで楽しむ事ができ、
この霜が降りる頃に採れる舞茸は「霜降り舞茸(しもふりまいだけ)」
と言って身がしまっていて固く、特に美味しいと言います。
本日我が家では「塩焼き」にして食べました。
「こでられねぇ〜 うめがったんし!」
角館でも稲刈りが始まりました。
朝日に映えてまるでダイヤモンドのようにキラキラ輝く
黄金色の稲穂も刈時を迎えました。
さて新米と言えばきりたんぽ鍋ですが、
一般的にきりたんぽは何時でも食べていると思われがちですが、
本当の季節はこの新米が取れた時期です。
新米を半突きにして杉の棒に巻きつけて焼いてきりたんぽを作ります。
鍋の具になるのがこの新米に時季に採れる
「芹(せり)」「葱(ねぎ)」「牛蒡(ごぼう)」「舞茸(まいだけ)」が定番で、
その基本の出汁は秋田名物「比内地鶏」ですが、
比内地鶏が無い場合は鶏肉でもかまいません。
決して牛肉や豚肉にはしないで下さい。
秋田の食文化が壊れてしまいます。
上記の野菜に蒟蒻を加え鍋を作ります。
肉、笹がきごぼう、葱、舞茸をいれ煮立ったら、
最後に斜め切りにした「きりたんぽ」を入れて、芹をのせて出来上がり、
きりたんぽを加えてからは決してグツグツ煮てはいけません。
芹も軽く火が通る程度、それが一番の食べごろです。
分からなければ角館町観光協会にお聞き下さい。

(稲穂)

(稲)
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先日戴いたコメントへの返信
おサツ様
コメント有難うございます。
ムラサキシキブの花は8月8日の角館紀行に載せてあります。
ご覧になって下さい。
甘い飲み物の名前は「ココノエ」でなかったかと思います。
